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ドーンDAWN15号

2007年11月18日発行
第13回児童文学ファンタジー大賞選後評

[選考結果]
大 賞 該当作品なし
佳 作 「半のら猫バツの旅」矢部 直行

第13回児童文学ファンタジー大賞の公募は2006年11月から2007年3月31日までの期間で行われた。応募総数168作。
1次選考において15作、2次選考では6作が通過、3次選考会においては次の3作が候補作に決まり、最終選考委員にそれらの原稿を送付した。

「半のら猫バツの旅」 矢部 直行
「雲の牙城」 平野 恭子
「アイヌモシリの風」 若本 恵二

最終選考会は斎藤惇夫(委員長)、工藤直子、脇明子、藤田のぼる、中澤千磨夫、工藤左千夫の各氏によって構成され、2007年9月9日、小樽にて開催された。
選考会は、大賞推薦の作品の有無から始まり、結果として大賞は該当作品なしということで、全選考委員の意見が一致した。
続いて、佳作の選考審議に入り、矢部直行「半のら猫バツの旅」が本年度の佳作に決定した。

矢部 直行
北海道伊達市在住45歳
帯広畜産大学卒 公務員
「半のら猫バツの旅」 500枚 (400字原稿用紙換算)
佳作「半のら猫バツの旅」矢部 直行

▼受賞コメント
避けようのない、大切な者との別れに対して、どう立ち向かい乗り越えるか、というようなことを書きたいと思い、いろいろな意味で身軽に行動できるのら猫を主人公にした物語を書き始めたのが12年前のことでした。ところが、100枚ほど書いたところですっかり行き詰まってしまいました。書き進むべき道を見失ったような状態でした。今から思うと、「書きたい」という気持ちがそのときはまだ弱かったのかもしれません。それで結局悩んだ末に、半ばあきらめの気持ちで原稿を机の中にしまいこみました。
しかし、このとき生まれたのら猫の物語は、心の奥深くにしっかり住みついて、ひそかにゆっくりと成長していたようです。物語のことは何カ月も、時には一年ほどもほとんど忘れているのですが、時々ふとしたきっかけで原稿のことを思い出します。きっかけというのは、夜道を歩いていて塀の上の黒猫と目があったりすることなのですが、そんなとき猫から「おい、あれはどうなってるんだ?」と、言われた気がして、夜中に原稿をひっぱり出します。でも、つづきを書くことができず、また机の中にしまいこむ。そんなことが何年もつづきました。
ところが、一昨年のことです。農家の納屋の前でとらじまと白黒ぶちの子猫がじゃれあっているのを見て、ひさしぶりに原稿を読み返してみました。すると、物語に登場する猫たちがついにしびれを切らして後押しをしてくれたのか、つづきを書けるような気がしました。と言うより、つづきをどうしても書かなければならないような気持ちになりました。
それで、最初から書き出すつもりで原稿をパソコンに打ち直し、いつのまにか貯まっていた物語の断片を記したメモや資料を整理することから始め、ほぼ一年かかってこの作品を書き上げました。物語に没頭し、猫たちと一緒に旅をしていたときは、本当に物語を書く楽しみを味わえたように思います。できあがった作品は、いつかは応募してみたいとずっと思っていたこの賞に送ることにしました。原稿を送付した後には「ツキモノ」が落ちたような感覚がありました。
長い間悩まされ、それでも何とか書き上げた初めての長編が、佳作という賞をいただけたのは本当に幸せなことだと思います。選考委員のみなさま、関係者のみなさま、このたびはありがとうございました。この受賞の重みをかみしめながら、物語を創り出す情熱があるかぎり書きつづけていこう、と今思っています。
斎藤 惇夫
選考委員長
児童文学者/絵本・児童文学研究センター顧問
1940年生まれ・埼玉県さいたま市在住

●長年、福音館書店の編集責任者として子どもの本の編集にたずさわる。2000年より作家活動に専念する。1970年『グリックの冒険』(岩波書店)で作家としてデビュー。
著書『冒険者たち』『ガンバとカワウソの冒険』『なつかしい本の記憶』共著(ともに岩波書店)、『現在、子どもたちが求めているもの』『子どもと子どもの本に捧げた生涯』(ともにキッズメイト)。『いま、子どもたちがあぶない!』(共著、古今社)。

この賞が歴史を刻みはじめたと思いました。
ファンタジー大賞候補作品に目を通す前に、私はいつも「作者が私の生きているこの世とは他の世界を創り、その世界を垣間見せ、その国に吹く風を感じさせてくれますように。時間と空間の深みを知りたい、そして動物と話をしたいという私の欲望を満足させてくれますように。妖精の持つような技術で、その世界を目に見えるように破綻なく描きだしてくれますように」と祈ります。言うまでもなく、これはトールキンのファンタジー論の中の一節なのですが、もう一つ、私自身が子どもの頃にいつも願っていた「どうぞ幸せな大詰め(ハッピーエンド)でありますように」という祈りも付け加えます。
さて今回の3作品。いずれも力作で、こういう作品が揃ったことに、この賞がようやく歴史を刻みはじめたことを感じ、身の引き締まる思いがしました。
『雲の牙城』。作者は『酒呑童子』をモチーフに、人食い鬼を傷ついた者を救う孤独な男、彼を成敗しようとする頼光は、未だ名を馳せることのできぬウダツのあがらぬ青年、保昌は、世情の乱れを、政争に破れた祖父の祟りとする権力者とそれを信じる世間を罵る少年、鬼にさらわれた姫を、顔に痣ある、童子を慕う者として描きました。物語の後半、些か饒舌にすぎるとはいえ、ほとんど会話と内省により、主人公たちの心の屈折を語り、それぞれの孤独を浮き彫りにしていく手法と語り口に、私はこの作者のなまなかならぬ才能を感じました。ただ、何故か顔に痣ある姫は点景としてしか描かれておらず(他の脇役も同様に魂を与えられていません)、物語の深みを減じてしまっています。彼ら一人一人をも、おとぎ草子に寄り掛かりすぎず、もっと奔放に、しかも丁寧に描くことができたら、新たな物語が誕生したと思われますが、少々残念です。わが国に伝わるファンタジーを、リアリズムに描きなおすことにより、今を生きる人間の心を描こうとした作者の心意気は伝わってくるものの、まだ、鬼の魅力には勝てていない、というのが正直な感想です。次はぜひ、古い材料を使っての新しいファンタジーの構築を試みて下さい。
『アイヌモシリの風』。リアリズムの力作です。一人のアイヌの少年の成長が、豊かな自然とアイヌの歴史を背景に語られ、著者の力量の確かさを感じさせました。もしも著者が、アイヌの口承文芸や祭り、などを通して感じられる、現代人が失ってしまった魂や、自然や、生命に対する思いの深さを、神話や昔話や祭りの向こうに、目に見えるように、他の世界として描いたら、つまり、シャクシャインの蜂起のあと、200年以上の間、国の弾圧・融和政策を超えて、アイヌが守り抜いてきたものが何であったのか、それを詳らかにしてくれたら、自ずからファンタジーを導き出すことになったと思われるのですが、作者の思いはそれとは少し別のところにあったのかもしれません。
『半のら猫バツの旅』。ようやく動物ファンタジーが登場した歓びを禁じえませんでした。動物をしっかりと学び、観察をつづけた著者が、愛するおばあさん猫の延命のために冒険に出掛けた主人公の猫の、危険に会いながらも成長をつづけていく姿を、丁寧に描いた物語です。展開に無理がなく、舞台も、著者が生活し、歩き回っている北海道と、作り物ではありません。贅沢を言えば、人間には推測と観察でしか分らない動物の神秘さをもう少し描いていたら、自然を猫の目で見たものとして丹念に描いたら――それこそが文学の仕事と思えます――、旅の意味が更に納得いくものになったと思われるのですが、しかし、読後、幸せな気持ちにさせてくれる、十分に佳作に値する作品です。
工藤 直子
選考委員
詩人/絵本・児童文学研究センター顧問
1935年生まれ・静岡県伊東市在住

●詩・童話を中心にエッセイ・翻訳の分野でも活躍中。著書『てつがくのライオン』『こどものころにみた空は』(ともに理論社)、『のはらうたI~IV』(童話屋)、『リュックのりゅう坊』全3巻(文溪堂)、『子どもがつくるのはらうた』12(童話屋)、『よいしょ』(小学館)、『象のブランコ―とうちゃんと』(集英社文庫)。

連れてって!
人の心の中、というか、ひとの内側のモヤモヤしたところに、「もっとナニかがあるのでは」とか、「もっとどこかへ行けるのでは」というような思いが常にあり、そこへ連れていってもらうのを待っている気がします。だから人は、物語(絵や音楽なども)を求めているのではないかしらん、そんな気がしています。少なくとも私はそうです。
今回も(どこへ連れていってくれるのか、ナニに会えるのか)、そんな気持ちでいそいそと読みはじめました。
嬉しかったのは、最終選考に残った3作品とも、それぞれにチカラと魅力があり、引きこまれてしまったことです。選考を引き受けて初めての感覚で、ファンタジー大賞に新しい風が吹き始めたような気がしました。
『雲の牙城』。平野恭子さんの若々しい筆致に連れられて、一気に面白く読みました。巷間に伝えられている酒呑童子の伝説を下敷きに、その裏側にあったかもしれない、さまざまな葛藤や物語を展開させる。そして、それが漠とした「伝説」の世界に、どのように収斂されていったか……その仕掛け、組み立てがうまく出来上がりました。なかでも私が惹かれたのは、文章の、どこがどうとはいえないけれど、ふわりとまといついているユーモア感覚です。本人は無意識かもしれないけれど、こういう味は平野さん自身の天性かもしれません。大事にしてください。
『アイヌモシリの風』。この作品も巧みです。まるで織物を織るように、キメの細かい文で紡がれて、ある時代のアイヌと和人の紋様が浮かびあがりました。登場人物たちが多く、その一人一人の描写はムラになりがちでしたが、魅力的な人物に絞って深く描けば、より陰影のある大きな物語になると思いました。なにより素晴らしいのは、若本さん自身の「書くことの喜び」が全編に溢れていることです。今後それが大きなエネルギーになると思います。
『半のら猫バツの旅』。いやあ、実に「連れていって」もらえた物語でした。バツ猫と一緒に、こけつまろびつ冒険の旅をした感覚です。物語のなかからリアルな風や匂いがこぼれ、日や月の光がこぼれてきました。物語の土台をしっかり支えるには、このリアルさは欠かすことが出来ません。そして、矢部さんは、この大切な要素を豊富にお持ちだと思いました。佳作に推されましたが、限りなく大賞に近い佳作です。期待しています!
脇 明子
選考委員
評論家/翻訳家
1948年生まれ・岡山県岡山市在住

●ノートルダム清心女子大学教授。大学で児童文学の講座を担当。
著書『ファンタジーの秘密』(沖積舎)、『読む力は生きる力』『魔法ファンタジーの世界』(ともに岩波書店)
訳書『不思議の国のアリス』(キャロル著)、『ムルガーのはるかな旅』(デ・ラ・メア著)、『クリスマス・キャロル』(ディケンズ著)、『雪女 夏の日の夢』(ハーン著)、『かるいお姫さま』(マクドナルド著)、『ぐんぐんぐん』(マレット著)すべて岩波書店、『九つの銅貨』(デ・ラ・メア著)福音館書店、『天のろくろ』(ル=グウィン著)ブッキング。

河合先生を失った今だからこそ、夢を求め続けていきたい。
気がつけば、ファンタジー大賞の選考に携わって10年、「なぜファンタジーなのか」という原点に立ち返る必要を痛感した選考会だった。児童文学としてすばらしければ、ファンタジーでなくたっていいのは、もちろんのことだ。でも、この賞において、ファンタジーというやっかいな枠をあえて設けたのは、「ファンタジーでないと書けないことをとらえた作品を」と切望しておられた河合隼雄先生の志に、私たちが共鳴してきたからこそだ。今回の『アイヌモシリの風』『雲の牙城』のように、リアリズムに徹して正面から取り組んでほしかった作品に出会うと、複雑な気分になるのはたしかだが、河合先生を失ったいまだからこそ、先生とともに夢見てきたことを求め続けたいという思いは、さらに堅固なものになっている。
『アイヌモシリの風』で、一応ファンタジー的要素と言えるのは、シャクシャインの霊の登場だが、幽明境を異にする者同士が言葉を交わすというのは特別なことで、そのためには非常に大きな犠牲を払うことが求められてしかるべきだ。死者の霊に出会った者は、謎めいた死者の言葉の解釈に悩み抜いたり、ハムレットのように自分の人生を投げうつ羽目に陥ったり、ゲドのように黒い影に追われ続けたりして当然で、そうなればそのことが物語を強力に押し進めていく。ところがこの作品におけるシャクシャインの霊は、長々と意見を述べ、証人を連れてくるかと思うと、しまいには反省までして、少しも死者の霊らしくない。主人公の若者も、アイヌ民族の過去と未来について悩んだり議論したりしているばかりで、物語を自ら生きる存在にはなりえていない。
『雲の牙城』は、御伽草子の「酒呑童子」の鬼を髪の赤い異国人に、人の血の酒を葡萄酒に、といった具合に読み替え、ファンタジーであった説話をリアリズムにしてしまった作品だ。「酒呑童子」の読み替えは漫画やミュージカルにもあったが、比べてみて気がつくのは、説話や漫画や舞台なら、様式感やヴィジュアルな要素のおかげで矛盾や単純化が気になりにくいのに対し、主人公たちに感情移入させて物語の世界を体験させようとする文学作品では、細かい矛盾や一貫性のなさがことごとく躓きの石になるということだ。説話なら、神々のご加護ですべてが解決してもいいが、主人公藤原保昌の思いと計略で進行させていこうとするなら、個々のモティーフやエピソードの読み替えに溺れずに、作者自身もっとその世界にはいりこんで、心理的、物理的な首尾一貫性を追求していく必要がある。
その点、『半のら猫バツの旅』は、読者をバツに感情移入させ、ともに冒険の旅をさせることに成功しており、注文をつけたいところはあれこれあるが、気持ちよく佳作に推すことができた。とりわけよかったのは、旅のとちゅうで手助けをしてくれる山住まいの猫タマゴロウや、牛の花ちゃんなどの個性がいきいきとしていたことで、花ちゃんの助けを借りて帰りに乗るトラックを探すところなどは、とても楽しく読めた。いちばんの問題は、死にかけているばあさん猫を救うために「幻の木の実」を取りにいく、という旅の目的が、あくまでも日常的な物語世界にそぐわないことだ。神沢利子の『ちびっこカムのぼうけん』では、カムが母親のためにイノチノクサを取りにいくが、それが自然に納得できるのは、クジラをつまみあげて喰う大男がいるような昔話的世界で展開する物語だからだ。現にこの作品では、実は持ち帰ったものの、それでばあさんが救えるでもなく、すっきりしない結果に終わっている。たとえば、ばあさんが死ぬ前に果たしたいことを手助けするといった現実的な課題を選べば、もっと心満たされる物語に育てることができるだろう。
藤田 のぼる
選考委員
児童文学評論家/(社)日本児童文学者協会事務局長
1950年生まれ・埼玉県坂戸市在住

●児童文学の評論と創作の両面で活躍。評論に『児童文学への3つの質問』(てらいんく)、創作に『雪咲く村へ』『山本先生ゆうびんです』(ともに岩崎書店)、『麦畑になれなかった屋根たち』(童心社)、『錨を上げて』(文溪堂)などがある。

新しい動物ファンタジーの書き手の登場に喜びと期待を。
これはある種の思い込み、もしくは読む側のなにかしらの意識の反映ということもあるかも知れませんが、候補作を並べてみると、その回ごとの共通点があるように思えてなりません。今回のそれを言葉にすれば「まじめさ」というか、意義のある題材、テーマにしっかり向き合って書かれてあるという印象を持ちました。同時に表現の生硬さや、ストーリーがもう一つ「翔んで」くれない、という不満もありました。それを前置きに、一つひとつの作品について述べます。
シャクシャインの乱を題材にした作品は、児童文学でも中野みち子さんや木暮正夫さんの長編があり、大人の作品では結構あると思いますが、「アイヌモシリの風」は、その〈戦後〉を描いたというところに、オリジナリティーを感じました。ここではシャクシャインは英雄としてよりも、敗北という負の遺産を次代にもたらした存在として描かれており、主人公は自分自身には直接責任のない敗北的状況の中でいかに生きるかという、出口の見えにくい模索を余儀なくされます。この辺りは、現代の若者や子どもたちの置かれている状況と響き合うところがあると思いました。しかし、作品では、そうした主人公の苦悩が、独白のような、作者による説明のような形で延々と書かれ、物語世界の中に消化(昇華?)されていきません。これはある意味無理もないところで、例えば『羅生門』のように章ごとに視点を変えて語るとか、『空海の風景』のように、作者と登場人物が対話をしながら進められるとか、思い切った転換を考えてもいいのではないでしょうか。
「雲の牙城」もまた、若き主人公が自らの生き方を求めて悩む、という作品の基調において、前者と共通するところのある作品でした。同時にここでは、源頼光、家臣たち、酒呑童子、太夫の一の姫といった、主人公保昌とは違う成長課題、背景を持った人物が配されており、こうした人物配置が化学反応を起こせば、すごい可能性を秘めた作品だと思いました。ただ、今のところは、登場人物たちがストーリーの下請けというか、作者の思惑を超えて動き出すところまでいっておらず、さらに熟成させての再挑戦に期待します。
「半のら猫バツの旅」は、猫たちの冒険という動物ファンタジーとして合格点というだけでなく、北海道の風土、現実が巧みに織り込まれ、生かされているという点で、オリジナリティーを感じました。ただやはり文章に生硬さがあり、主人公の心理描写など説明的なところが多々ありました。もう少し読者を信頼し、登場人物(動物)たちの行動を提示してくれるだけで、その心の動きはちゃんと伝わると思います。この作品にさらに磨きをかけていく方向としては、動物ファンタジーとしての熟成ということも一方であるでしょうが、僕は作品の舞台である北海道の風土や社会状況といった〈オマケ〉の部分をより豊かにしていくことで、物語を彩るという戦略もあるように思います。
いずれにしても、新しい動物ファンタジーの書き手の登場を喜び、さらにさまざまな手法で作品を生み出されることを期待します。
中澤 千磨夫
選考委員会幹事
北海道武蔵女子短期大学教授/絵本・児童文学研究センター評議員
1952年生まれ・北海道小樽市在住

●日本近代文学から映像論と守備範囲は広い。著書に『荷風と踊る』(三一書房)、『小津安二郎・生きる哀しみ』(PHP新書)など。現在、『日刊ゲンダイ』(北海道版、木曜日発売金曜日号)に隔週で「さっぽろ路地裏探検隊がゆく」を担当執筆。

山野の自然を描く細部が実にいきいきしている。
池澤夏樹さんが『静かな大地』(朝日新聞社)を『朝日新聞』に連載(2001~02年)していた前後、何度か二風谷の萱野茂さんのお宅にご一緒しました。そんなある時、萱野さんのお庭に一羽の鴉がやって来たのです。萱野さんはおもむろに立ち上がり、お前も腹がへっているのかというような意味のことをいって、窓からもったいないほど大きな食パンを投げ与えました。鴉や鳩に餌づけをするようなことはいけないと、さかしらな都会人なら非難するでしょうか。しかし、その時の萱野さんはごくごく自然で、なんの意識もせずに鴉の仲間になっていたのです。萱野茂の秘密をかいま見た気がしたものです。動物の相対化などという理屈以前の根生いの感覚ですね。
矢部直行さんの「半のら猫バツの旅」は猫の目から見たユーモアあふれる動物冒険ファンタジー。この作品が何よりいいのは、ネマガリタケ、イタドリ、ツタウルシ、イラクサなどといった山野の自然を描く細部が実にいきいきしていることでしょう。タマゴロウはいいます。「ああ、この山はいい山だ。おれはすべての物をこの山から借りて生きているんだ。いや、必要な物だけ借りて、生かしてもらってるといったほうがいいかな」と。萱野さんの『妻は借りもの』(北海道新聞社)を即座に思い出しますね。旅するバツたちの危機がわりとあっさり乗り越えられてしまうのがちょっと不満ですが、ニコばあさんの命を救おうとするいうにいわれぬ衝迫と、旅を終えての成長は読者を納得させます。
若本恵二さんの『アイヌモシリの風』は力作です。アイヌ問題を扱うのは大変厄介。差別の構造が生き続けているからです。長見義三『アイヌの学校』(恒文社)を巡る不幸な事件(1994年)の記憶がまだ生々しいですね。池澤さんは『静かな大地』に必要上欠かせない差別用語の使用に際し、いかに工夫をこらしたかを語ってくれました。若本さんの作品がいいのは、アイヌ=善/和人=悪といったような単純な二項対立図式に陥っていないこと。今年翻訳紹介されたブレット・ウォーカー『蝦夷地の征服』(秋月俊幸訳、北海道大学出版会)が話題を呼んでいます。シャクシャインの戦いには交易を巡るアイヌ間の紛争が胚胎していたことを明らかにしました。民族戦争だけでなく、経済戦争の側面があるというのですね。『アイヌモシリの風』はアイヌ研究の最新の知見にも通じているのです。ただ、恋(性)を介しての和人とアイヌの共生という予定調和的な結末は、ちょっと面白みに欠けます。
平野恭子さんの『雲の牙城』。私はこの作品が一番好きでした。こざかしい知恵の持ち主である藤原保昌少年が酒呑童子との対話で「想像力」としての知のありようを獲得するに至ります。年長の源頼光が保昌を見て内省するのもいいですね。雲はまさに定めなく雲散してしまうかもしれない。「想像力」が牙城という実体(らしきもの)を描くのでしょうか。なによりも、ソフィスティケイテッドな作品の構造が素晴らしい。鬼退治はせずに、「物語」として作ってしまおうという逆転。つまり、酒呑童子伝説を信じる民衆(それはとりもなおさず読者である私たち)が物語の中で裏切られるわけです。私たちの読書行為の過程そのものが物語化されているとさえいっていいのです。脇明子さんから、宝塚の舞台の原作にもなった木原敏江の漫画『大江山花伝』(小学館文庫)がヒントになっているとの指摘がありました。たしかに『大江山花伝』の藤の葉の顔のあざ、渡辺綱と茨木童子の友情が、形を変えて『雲の牙城』に反映しているのでしょう。とはいえ、かっちりとした結構にまとめあげた平野さんの力量を、私は買います。
工藤 左千夫
選考副委員長/選考委員会代表幹事
絵本・児童文学研究センター理事長
1951年生まれ・北海道小樽市在住

●生涯教育と児童文化の接点を模索するために絵本・児童文学研究センターを開設(平成元年)。平成14年、特定非営利活動法人となる。現在、会員数は全国で1300名を超え、2年半にわたる基礎講座(全54回)を開講するとともに多様な公益事業に取り組んでいる。
著書『新版ファンタジー文学の世界へ』『すてきな絵本にであえたら』(ともに成文社)、『大人への児童文化の招待』(エイデル研究所 河合隼雄共著)、『学ぶ力』『笑いの力』(岩波書店 河合隼雄他共著)。

新しい船の門出に相応しい「作品」と言う波が待っていた。
本年の最終選考会の前(7月19日)に、長らく本賞の選考委員長を務めていただいた河合隼雄先生が逝かれた。本賞のみならず、絵本・児童文学研究センターの様々な事業にとっても、いや今後の日本文化を展望するうえにおいても、極めて大きな損失であることは間違いない。本賞や本センターの歴史を鑑みると、どれをとっても河合先生の影響は大であった。9月2日の追悼式(京都)に参列させていただき、あらためて先生の大きさを実感した次第である。紙面を借りて、河合先生に対して今までの御礼とご遺族には心からのお悔やみを申し上げたい。
本賞創設に到る様々の事柄・想い、それらが走馬灯のように浮揚する。
本賞が始動する前の2年間、河合先生とは10回以上の話し合いを重ねたこと。先生から紹介され、福音館書店の松居直(当時の会長)さんにお会いできたこと。その他、本賞のエピソードを綴れば一冊の本になることも可能なほどである。
本年の選考会は新しく選考委員長になられた斎藤丸の出航である。河合先生を失った悲しみを各委員が共有しつつも、選考の厳しさは今までどおり。また、斎藤選考委員長の門出には相応しい作品群が、選考会を待っていた。
選後評については、各委員がそれぞれの字数を割いて述べているので、多くは語らない。
「アイヌモシリの風」
作者の若本恵二さんは、本当に力のある方に思える。作品の粗筋をここでは述べないが、よほどアイヌ関係に造詣が深いのだろう。北海道の歴史は、明治の開拓史に始まったわけではなく、蝦夷(差別用語)と呼ばれていた(アイヌ人がつけた呼称などではない)時代から日本の片隅で産声を上げていたのである。日本には多くの差別が存在する。特に部落、在日、そして北海道のアイヌに対してのそれが顕著であり、現代でもその影響は大きい。
本作品はそれらの課題をも含めての創作である。統一された文体、ディテールの巧みさなど褒めるべき点は多々あるにしても、本賞はファンタジー大賞である。とにかくファンタジーの作品としては弱いものがある。斎藤委員長など各委員の評を参考に今後の創作活動の継続を望む。
「雲の牙城」
才能ある書き手だと思う。しかし、本作品が下敷きなしのそれであれば、諸手をあげて称賛したかった。
「半のら猫バツの旅」
ようやく北海道出身の書き手が本賞の佳作を受賞した。今までの賞では不思議にも北海道出身者がいなかった。これは道民対象の賞でもなければ、ましてや本センター会員のための賞ではないことの証である。また、動物ファンタジーのジャンルでの投稿は、誤りでなければ今回が初めてではないだろうか。一読すると、斎藤惇夫さんの顔が浮かんで苦労したが、これはこれで矢部直行さんの世界なのだろう。とにかく、佳作受賞に「おめでとう」を言いたい。


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