ドーンDAWN30号(最終号)

選考結果

大 賞 該当作品なし
佳 作 該当作品なし
奨励賞 該当作品なし         

 第28回児童文学ファンタジー大賞の公募は2021年11月から2022年3月31日までの期間で行われた。

応募総数287作。

 一次選考において12作、二次選考では6作が通過。三次選考においては次の3作が候補作に決まり、最終選考委員に原稿を送付した。

「島めぐり」           織田 りねん

「緑のちいさな竜」         藤原 道子    

「風と風が出会うところ」     森川 聖子

 最終選考会は斎藤惇夫(委員長)、藤田のぼる、茂木健一郎、アーサー・ビナード、中澤千磨夫、工藤左千夫の各氏によって構成され、9月11日、小樽にて開催。

 選考会は、大賞推薦の有無から始まり、大賞は該当作品なしということで、全選考委員の意見が一致した。

 続いて、佳作・奨励賞の選考審議に入り、結果として、佳作、奨励賞も該当作品なしと決定した。

 本賞は1994年に創設。小学校中・高学年~中・高校・一般までを読者対象とした未発表のファンタジー文学の作品を公募し、1995年に第1回の最終選考会を開催した。

 第1回からの応募総数は通算5,443作品、最終選考会に残ったのは98作品。 本年の第28回をもって最終とする。

選後評

斎藤 惇夫
(さいとう あつお) 


選考委員長
児童文学作家/絵本・児童文学研究センター顧問
1940年生まれ・埼玉県さいたま市在住

●長年、福音館書店の編集責任者として子どもの本の編集にたずさわる。1970年、デビュー作『グリックの冒険』で日本児童文学者協会新人賞。1972年『冒険者たち』で国際アンデルセン賞優良作品、1983年『ガンバとカワウソの冒険』(以上全て岩波書店)で野間児童文芸賞を受賞。2000年に福音館書店を退社し、創作活動に専念する。2015年、小~高校時代を過ごした新潟県長岡市から、子どもへの読み聞かせや選書の大切さを伝え続けた活動が評価され、第19回「米百俵賞」を受賞。2010年に『哲夫の春休み』(岩波書店)、2017年に『河童のユウタの冒険』(福音館書店)、2021年にはエッセイ集『子ども、本、祈り』(教文館)を刊行。


愛なくば鳴る鐘や響く鐃鈸(にょうはち)の如し

 ファンタジー大賞最終選考会、候補作三作いずれも小学校高学年の女の子の内面をファンタジーの手法で描き出そうとするものでした。当然のことながら、成功の鍵は、作者が、少女たちを時空の彼方に旅立たせることによってしか、彼女たちの内面・個性を描くことができなかったのかどうか、にかかってくることになりますが、果たしてどうだったか。

『緑のちいさな竜』

 自分に自信のない、というよりも自分を認識し始めた主人公が、おじいさんの語る古い言葉や、地域に伝わる伝説、また古い資料などに触れることにより、次第に自分の内面を深めていくという構成。しかし、物語の展開に必要なものだけが丹念に選び抜かれたとは言い難く、様々な不思議が並列されたまま語られ、物語が進展、展開、深まっていく気配が見られず、したがって少女の内面も描かれず、魑魅魍魎だけが跋扈するという作品になってしまった。書き手が君臨して、物語を操らなくてはならないのに、資料に弄ばれてしまった感が強い。これでは、主人公の内面が、成長が読者に見えてこない。

『風と風が出会うところ』

 言葉と人間、言葉と人生、言葉と民族、言葉と魂、それらの重い問題を、英語が不得意な主人公が少しずつ経験していく、という少女の成長物語。であったはずが、ただ偶然言葉の源の一つの魔法の石を手にした少女が、異なる言語体験を積み重ねることによって、自分の内面への旅を続けるという展開にならず、ただ、実体のない旅のエピソードが繰り返されるだけで、やはり物語が進展、展開、深まっていく気配がないままで終わってしまった。一編の物語を通して、言葉の重さを感じさせるのが文学の仕事のはずである。甘い!

『島めぐり』

 この作品の象徴的な表現なのだが、主人公の両親が、いかにも図形的にしか描かれておらず、主人公と対峙しながらも、成長を促す生きた存在として描かれていない。その弱さが、小山田という両親と対の関係として描かれる女性の実体のなさをも際立たせている。主人公が島めぐりをする島々に潮の香がしない。島々で働く鳥人が何のために誰のために何故、懸命に働いているのか、一応説明はされているものの、読者に納得できる形では描かれていない。したがって主人公と行動を共にするミルク芝も、曖昧なままである。文章、構成力、ストーリーテラーとしての資質も感じさせる書き手であるが、肝心な魂が抜けている。

 この三作に共通して言えることは、思春期の少女を描くことが、作者にとってどういう意味があったのか、あるいは、何のために彼らに肉薄したかったのか、それが見えてこないということです。I must write, or burst 、彼女たちをファンタジーの手法で描かなくては爆発してしまいそうな促し、主人公は私だ、と言い切れるほどの、切実な思いと気迫に欠けているのです。言い方を変えれば、主人公に対するひたむきな愛に乏しいのです。主人公たちの一挙手一投足が、読者の胸に響いてくるようなところまで描くのが、作家の仕事なのです。「たとひ我もろもろの国人の言および御使の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や響く鐃鈸の如し」(新約聖書コリント人への手紙Ⅰ 十三章より 文語訳)。なんだか主人公たちが、ただただ物語を書くために利用されたように思えて仕方がありませんでした。

 最終選考会で、受賞作がなかったことに異論を唱える方もおられると思いますが、私はこれも一つの幕のおろし方だと思っています。応募者の皆さん、懸命に原稿の下読みをして下さった会員の皆さん、激しい議論を繰り返して大賞を選ぼうと努力して下さった選考委員の皆さん、そしてこの賞を三十年近く守り続けたセンターの皆さん、心よりお礼を申し上げます。毎年、原稿が送られてくる夏休みから選考会まで、期待と落胆の交差する実に重い時間ではありましたが、河合隼雄さんも、これにて終了でいいのではありませんか、と言ってくださるに違いないと、私は勝手に思っております。

藤田 のぼる
(ふじた のぼる) 


選考委員
児童文学評論家/日本児童文学者協会理事長
1950年生まれ・埼玉県坂戸市在住

●小学校教諭を経て、日本児童文学者協会事務局に勤務。児童文学の評論・創作の両面で活躍している。2013年に発表した創作童話『みんなの家出』(福音館書店)で第61回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞。
主な著書に『児童文学への3つの質問』、『麦畑になれなかった屋根たち』(ともにてらいんく)、『山本先生ゆうびんです』(岩崎書店)、『「場所」から読み解く世界児童文学事典』(原書房、共著)などがある。

受賞作なしで残念! 

 最後の選考となった今回、結局「受賞作なし」という結果に終わり、誠に残念でした。以下、まずは読んだ順に感想を記します。

 「風と風が出会うところ」では、英語に苦手意識がある小学校六年生の少女が異世界に迷い込みます。そこではかつて言語をめぐっての争いがあり、それを鎮めるために「世界に存在する言語の数の石」が泉に沈められたのだが、その一つが盗まれたことで封印が解け、世界各地で言葉が少しずつ消えている、主人公がその石を泉に戻す役割を与えられる、という、異世界ファンタジーの典型のようなストーリーでした。最初に「あらすじ」を読んだ時、〈言葉〉がテーマになっているということで、かなりの期待を持って読み始めました。しかし、まずつまずいたのは、世界に存在する多数の言語(間の軋轢)をめぐる問題のはずが、この世界で起こっているのは、どの言語に限らず、何かを表わす言葉が少しずつ消えている(例えば友だちという言葉がなくなることで、そういう概念も失われる)という事態で、つまり、言葉ということば?が「言語」という意味と「単語」という意味の両方で使われているのです。これだと、主人公が使命を果たしても、喪われた単語は戻るかもしれませんが、言語をめぐる問題(世界にはアイヌ語など、生活のことばとしては使われなくなった言語が多数あると思います)の解決にはなりません。こうしたファンタジーで、主人公の冒険の意味があいまいになってしまうのは致命的です。さらに、その異世界自体も、次々にいろんな国(?)が現れるのですが、ストーリー作りに気をとられてしまい、せっかくのテーマを深めることが置き去りになってしまった印象でした。

 次に読んだ「緑のちいさな竜」ですが、これは異世界ではなく、こちら側の世界に隠されていた不思議が次第に露わになっていくという構造の作品です。主人公の五年生の少女が、竜の蘇りのために必要な三つの竜の欠片を集めるという展開なのですが、こちらは、なんというか、作品の部分部分、あるいは登場人物(キャラクター)の意味付けに忙しく、肝心のストーリーラインがなかなか見えてこないという印象でした。特にその意味付けに活躍するのは主人公の祖父なのですが、登場人物というよりも作品世界の「解説者」という感じで、かえって読者が作品世界に没頭するのをじゃましているような感じさえ受けました。

 そして最後に読んだのが「島めぐり」ですが、僕はこの作品は、一人の読者として楽しむことができました。これは緑布群島という、ある種閉じられた異世界に飛び込んだ六年生の少女が、むしろ自分自身の都合のために島巡りを余儀なくされるという物語で、選考委員会で、茂木さんからこの異世界が現実世界に従属していることの問題点が(正確でないかもしれませんが)指摘され、批評としてはそれは言えるな、とも思いました。ただ後になって、なんというか「中二階的異世界」とでもいうか(僕も初めて思いついた言葉ですが)、この世界と対等・完全な異世界の他に、この世界の裏側のような、あるいはこの世界を補完するような異世界という存在もアリなのではないかという気がして、そういうファンタジーとして位置づけられるように思いました(例えば、岡田淳の「カメレオンのレオン」のシリーズなどは、そのように受けとめられます)。

 児童文学は、子ども読者が、作品を読んだ後に、主人公への共感に導かれながら少しでも自分を好きになるというか、いわゆる自己肯定感を持てるようになることができれば、作品として成功していると思います。これはそういう作品で、作者にはぜひ児童文学を書き続けてほしいと思いました。


茂木 健一郎
(もぎ けんいちろう)


選考委員
脳科学者
1962年生まれ・東京都在住

●東京都生まれ。脳科学者。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。ソニーコンピューターサイエンス研究所上級研究員。東京大学、大阪大学、日本女子大学非常勤講師。2021年4月には広域通信高校の屋久島おおぞら高等学校の新校長に就任。近著に『心が楽になる茂木式マインドフルネス』(扶桑社BOOKS新書)、『意思決定が9割よくなる 無意識の鍛え方』(KADOKAWA)など著書多数。


かけがえのない伝統が、これからもかたちを変えて

 児童文学ファンタジー大賞が終わってしまった。小樽の地から第一級の文学の価値を発信し続けて28回。その最後の選考に関わることができて光栄に思う。工藤左千夫先生をはじめとする関係者の方々の努力と見識に感謝とリスペクトを表明する。そして、いつかまた何かのかたちで復活することを願いたい。

 昨年に引き続き、文学賞の慣例に従い、私自身の評価として、森川聖子さんの『風と風が出会うところ』に「○」、藤原道子さんの『緑のちいさな竜』に「△」、そして織田りねんさんの『島めぐり』に「△」をつけて選考会に臨んだ。議論の行方については、どのような結果でも同意する気持ちだった。

 森川聖子さんの『風と風が出会うところ』を一番高く評価したのは、そのテーマやアプローチの現代性ゆえである。ファンタジーは、決して手垢のついた骨董ではいけないと思う。『風と風が出会うところ』が扱った言語の多様性や、(「受験」という日本の意味不明の風習にも関わらず) 学ぶことの意味といった課題は、ファンタジーというかたちでこそ、その本質に迫ることができる可能性があるように思う。言葉が失われることが、それに対応する現実の喪失を意味するといったモチーフにも共感した。日本の文化状況を見ると、世界的な普遍的価値と乖離したガラパゴス化が進んでいると感じる。その意味でも、風通しのよい作品だと思った。

 藤原道子さんの『緑のちいさな竜』は、エコロジーの思想を背景にした作品として受け止めた。人間とは無関係に営まれている生命活動のリアリティを、いきいきとした、色彩感覚にあふれた表現でつかんでいるところに好意を持った。歴史の中のタイムトリップは、世界に奥行きをもたせるための仕掛けなのだろう。水の持つリアリティ、不気味さ、そして生命を育むかけがえのなさに対する感覚は、この作品の大きな特徴である。さまざまなキャラクターの不気味な存在感は、作者の筆力である。

 織田りねんさんの『島めぐり』は、人生の変化が訪れる時期に揺れる心を象徴を用いてうまく描いている。鳥がガラスにぶつかるところから始まるストーリーは、ユング的な無意識の力動にあふれている。島々の異世界の描写も存在のリアリティに充ちる。子どもから大人に成長していく過程での課題設定は、現実よりもファンタジーの中でこそ純粋なかたちで形成できるのだろう。家族や自分の居場所の問題は誰にとっても切実であるが、それが身体性と結びつくと生々しすぎる。だから、ファンタジーというかたちでメタ認知することが大切なのだろうと思う。

 残念ながら今回も大賞はなかった。しかし、充実した選考会だった。ファンタジーの現代的な意味について、個人的にも振り返るきっかけを得た。現代の世相で気になるのは、しばしば課題を子どもたちに押し付けようとすることである。グレタ・トゥーンベリさんが気候変動の問題を訴えたのは良いことだったが、本当は大人たちこそが真摯に受け止めて解決を目指すべきなのではないか。学校でも、探求学習で現代の課題解決を生徒たちに問いかけるのは良いが、それは本来は大人たちの問題だろう。

 奇しくも、今回の応募作品はすべてが、世界が抱えている問題に子どもたちが向き合って解決しようと試みる構造になっていた。大人たちは全く無力である。それが現代の鏡だとすれば悲しいことだろう。

 ある時出版社の方と話していて、新人賞を設けている大きな意義は、社の編集者たちが選考に関わって鑑識眼を培うことにあると聞いた。最後となった今回も、絵本・児童文学研究センターの正会員のみなさんが選考の初期段階に関わったと聞いている。そのかけがえのない伝統が、これからもかたちを変えて続いていくことを願わずにはいられない。


アーサー・ビナード


選考委員
詩人
1967年生まれ・広島県広島市在住

●アメリカ・ミシガン州生まれ。詩人、絵本作家、翻訳家。1990年来日。日本語で詩作、翻訳を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、『ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞を受賞。現在は活動の幅をエッセイ、絵本、ラジオパーソナリティなどに広げ、2021年「ギャラクシー賞」ラジオ部門の大賞に選ばれた。エリック・カールの作品の和訳を手がけ、また『モチモチの木』(岩崎書店)の英語版や、『やまなし』のバイリンガル絵本『やまなし Mountain Stream』(今人舎)を出版。今年、「澄和Futurist賞」に選ばれた。


どうぞお幸せにファンタジー

 今年の夏、小松左京の小説を読んでいた。そして神戸へ出かけ、左京の息子、小松実盛さんにお会いして小説の背景について根掘り葉掘り訊き、ラジオ番組を作った。

 出版業界の都合上「サイエンスフィクション」というジャンルに分類されても、その枠におさまらない小松左京の作品の数々を、ちょうどおもしろく探っているときに、「第二十八回児童文学ファンタジー大賞」の候補作三冊がわが家に届いた。『日本沈没』の延長線上で「ファンタジー」のジャンルについても考え、比較しながら読んでいった。

 鮮やかに異なる点をひとつ見つけた。『島めぐり』『緑のちいさな竜』『風と風が出会うところ』の書き手三人は、基本的には「いい人」だ。誠実に、まじめに暮らし、善良な思いを抱え、自ら組み立てたプロットも確実にその方向へ進めようとした。

 そもそも「ファンタジー」はなんでもあり得るはずだが、三冊とも最初からハッピーエンドのにおいを漂わせ、最後まで読めばやはりそうなっている。

 一方、左京はちっとも「いい人」ではない。また「わるい人」でもない気がする。そんな線引きを最初から拒む筆力だ。善人と悪人と両方の要素を豊富に抱えつつ、ストーリーの本質と必然性を冷酷なまでに追い求めている。

 ハッピーエンドの予定調和に、自分のプロットをはめ込む善意なんか、小松左京は持ち合わせていない。そのおかげで潔い本音として伝わる。フィクションであり、ファンタジーであり、なおかつ潔い。

 『島めぐり』は遥かなる旅路を描いている。日本の関西のどこかにありそうな「香町」から飛び立ち、鳥類と人類の境界線を跨いでいく。まずマンションの屋上からファンタジーの緑布群島へワープして、順々に繭島、糸島、黄島、青島、やがて織島にも渡る。主役たちの個性をシュールに具現化した「自色の糸」が紡がれ、スカーフまで織られる。で、結局はこの壮大な流れがなんのために作られたかといえば、道という小学校六年の女の子の進学の悩みの解決するためだ。

 最後に「よかったですね」といいたくなってしまう。

 『緑のちいさな竜』のストーリーも手がこんでいる。水にまつわる怪事を通じて小学校五年生の麻実は、河童のガワタロや猫のキギシなどとタッグを組み、沼に潜む悪霊から竜を救おうとする。やがてそれを達成して、最終的には二学期からブラスバンドに戻り、「大人になっていくのも悪くない」と納得する。

 またまた「よかったですね」とつぶやきそうになる。

 『風と風が出会うところ』の物語は、小学校六年生の美緒の英語学習の悩みから始まり、雄大なトリップに発展する。ある日、最寄りの神社の池に幻想の橋が現れ、それを渡ると世界の戦争が迫ってきて、またすべての言語が平和に共存するための方法も示される。美緒が大役を背負うことになり、言葉は通じないが心はつながっている少女リアンカとともに活躍する。そして結末では英語学習に関する悩みは見事、解決される。

 「どうぞお幸せに」と締めくくったら意地悪かもしれないが、でも、せっかく物語を生み出すなら、無難ではない本質に切りこんでいってほしかった。

 三冊それぞれの出発点には、善悪を超える可能性があった。「いい人」を卒業すれば、本物のファンタジーに発展するはずだ。


中澤 千磨夫
(なかざわ ちまお)


選考委員
公益財団法人北海道文学館副理事長/絵本・児童文学研究センター評議員
1952年生まれ・北海道小樽市在住

●専門は日本近代文学、映像詩学、現代文化論、考現学。全国小津安二郎ネットワーク会長。北海道武蔵女子短期大学名誉教授。著書に『小津の汽車が走る時 続・精読小津安二郎』(言視舎)、『精読小津安二郎 死の影の下に』(言視舎)、『小津安二郎・生きる哀しみ』(PHP新書)、『荷風と踊る』(三一書房)など。映画プロデュース作品に前田直樹監督『冬空雪道に春風』(2010年)、出演作品に篠原哲雄監督『プリンシパル~恋する私はヒロインですか~』(2018年)など。CFにDCMホーマック(2016年)、東急リバブル・娘との帰り道編(2016年)、津軽海峡フェリー(2017年)、チャペル・ド・コフレ札幌(2017年)、北海道米販売拡大委員会(2018年)、ウィステリア(2022年)など。MVにNORD「ゴー!ゴー!レバンガ~超えろを超えろ。~」(2018年)。2023年6~8月、北海道立文学館で小津安二郎展を開催。


読者も作者もじっくりと物語に浸る時間を。

 織田りねん「島めぐり」。手練れの書き手だなというのが、最初の印象。郵便ポストのダイヤルなど「ウォーターサイド」マンションの細かな書き込みも、ふむふむと読める。でも、読み進んでいくうちに違和感が膨らんできた。まずは、語りの敬体。一般論として、敬体の駆使は難しい。表面的には読者への敬意を示すスタイルなのだが、場合によっては、あるいは受け取りようによっては、読者を見下ろすスタイルになりかねないからだ。慇懃無礼といおうか。国文学の訓練を受けた私の感覚だと、すぐに中村光夫の評論を想起する。中村のゆるがぬ自信と自負が、読者を教え諭す文体を呼ぶのだ。中村光夫の場合、それはもちろん戦略的な方法で、同業者をも畏怖させる武器であったのだ。と、そこまで、この作品で踏み込んでよいものかどうか迷わざるをえないが、語りの位相は物語の核心部分。「島めぐり」の場合、敬体の使用に必然性を見いだせなかった。

 何よりいけないのは、屋上から異世界に入り込んだファンタジー部分。主人公の十一歳の少女とハコビドリのミルクが乗り越えてゆく課題・困難が、なんともはや、ゲームの世界のようではないか。作者が読者(ゲームプレーヤー)ともども、クリエーターたる快感を楽しんでいるかのようだといったらいいすぎだろうか。島々を巡る描写は、製糸や染めの過程を含め、とてもよく描かれている。だが、繰り返せば、それはゲームをクリアしていく達成感を与えるものに過ぎない。ここにエネルギーが費やされているためか、少女の現実的な課題たる両親が離ればなれになっていることへの葛藤が細かく描かれることはない。その延長でいえば、少女の理解者である管理人に会うという旅の目的も説得力を欠く。さらにいうなら、ありきたりのオノマトペ、人物の書き分けなのだろうが、安易な関西弁や、ミルクのいかにも今どき少年の下卑た言葉遣いも我慢ならない。

 森川聖子「風と風が出会うところ」。英語が苦手な小六少女がいい。私は小学校の英語教育は亡国への道だと確信している。はてさて、少女は橋を渡った異界で、スッキャ王国のカック・アラリという老人に出会う。む、ジャック・アタリ、かく在りきか。老人が話すのはドピンテ語。老人は少女に通訳機能を持つ魔法の石を示す。泉から盗まれた石を返すというミッションが果たされなければ、世界に数ある言語が失われていくという。石を泉に返すことにより、多種多様の言語が共存するという秩序が保たれるというのだ。

 英語嫌いだから、エスペランティストのごとき志向を持つのかと思いきや、それはこちらの勝手な思い込みだった。多様性の重視は手垢の付いた流行りかもしれないが、アイデアはいい。でもね。「島めぐり」同様、ファンタジー部分はちょっとゲームっぽいかな。それを現実の課題で乗り越えるのが本来のファンタジーのはずだ。

 藤原道子「緑のちいさな竜」。今回の三作品で、ファンタジーの必然性を要求する現実がもっとも切実に描かれていた。竜を使うことや、日照り/豪雨という地球環境のアンバランスを正そうとする冒険譚にとりあえずは見える。それならば、エコロジーにおもねった流行りの物語に過ぎないだろう。しかし、この物語に於いて恢復された秩序は全てをありのままと肯定するもので、正しい/悪いという安易な二項対立ではないのだ。そこが際立っている。

 例えばロンドンブーツ1号2号の田村淳がMCを務めるテレビ東京の『池の水全部抜く大作戦』に見られるような外来種=悪/在来種=正といった単純な二項対立は相対化されているのだ。必ずしも雷魚(カルムチー)が悪いわけではないという認識が物語に深みを与えている。

それにしても、ファンタジーとは。あるいは物語とは。とにかく情報過多で多忙な現代、たとえば稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』(2022年、光文社新書)が指摘するように、結論(しかもハッピーエンド)を確認して物語を享受しようとする傾向が目立つようになった。それを安易に否定はしないが、バッドエンド必ずしも悪くない。読者も作者もじっくりと物語に浸る時間を求めていきたい。


工藤 左千夫
(くどう さちお)


選考副委員長
絵本・児童文学研究センター理事長
1951年生まれ・北海道小樽市在住

●生涯教育と児童文化の接点を模索するために絵本・児童文学研究センターを開設(平成元年)。平成14年、特定非営利活動法人となる。現在、会員数は全国で1400名を超え、2年半にわたる基礎講座(全54回)を開講するとともに多様な公益事業に取り組んでいる。2018年、創立30周年を迎え、30周年記念誌『心の宇宙に挑んで』を刊行。 著書『新版ファンタジー文学の世界へ』『すてきな絵本にであえたら』『本とすてきにであえたら』(ともに成文社)、『大人への児童文化の招待』(エイデル研究所 河合隼雄共著)、『学ぶ力』『笑いの力』(岩波書店 河合隼雄他共著)。2021年度文化庁長官表彰。  


物語の終わりは物語の始まりでもある

 本賞の準備期間を含めれば、30年間、ファンタジーにかかわってきた。本賞のコンセプトは二つ。一つは「子どもから大人の狭間で悩む人間群像」と「後世に残るスタンダードの創出」であった。結果として、第1回『裏庭』(梨木香歩)と第3回『鬼の橋』(伊藤遊)だけが大賞を受賞した。両作品とも、既に、文庫本になっているので、これからもスタンダードとして後世に語り継がれていくことだろう。当然のことながら、本賞28年間のプロセスは紆余曲折。しかし、紆余曲折ではあっても、本賞継続のために多くの方々が必死に支えてくれたこと、心より感謝いたします。また、選考委員長の河合隼雄先生が逝かれたあと、その任を引き継いでくれた斎藤惇夫選考委員長にはご苦労をおかけいたしました。御礼申し上げます。また第1回目から今回まで、本賞継続のための協賛金をいただいた、福音館書店の皆様にも御礼申し上げます。

 ファンタジーには的確な邦訳がありません。そしてそのような文学賞を創り上げようとした「冒険心」に悔いはありません。ただ、残念なのは受賞することを目的とした作品が増えてきたこと。何のために書くのか! という原点回帰がなされないまま本賞をおえることについては後悔も残ります。さらに選考委員の茂木健一郎さんが書かれた選評に「応募作品はすべてが、世界が抱えている問題に子どもたちが向き合って解決しようと試みる構造になっていた。大人たちは全く無力である。それが現代の鏡だとすれば悲しいことだろう」というフレーズに心が痛む。とにかく様々な課題を残しつつも本賞に幕を閉じたいと思う。

 選評については、他の選考委員の真摯な分析をお読みください。河合隼雄先生と共に創り上げた「児童文学ファンタジー大賞」、それが肯定的な歴史の物語として語り継いでいただければ幸いです。「物語の終わりは、新たな物語の始まり」というフレーズを信じて、明日に向かいたいと思います。

 追記:「ドーン」は「夜明け」の意味。ユリー・シュルヴィッツの絵本『よあけ』から選後評特集号のタイトルをイメージ化いたしました。



ドーン(夜明け)、

不思議な響き ドーン

音の夜明け ドーン

朝露の畏敬 ドーン


イカロスのささやきは

ひまわりの願いに

ひまわりの願いは

向日葵(ヒマワリ)になった



ドーン創刊号 巻頭詩
工藤左千夫


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