ドーンDAWN26号


選考結果

大 賞 該当作品なし
佳 作 「つきのはなさく」  本田 昌子         
奨励賞 「水鳥写真館クラブ」 森川 聖子
 
      


 第24回児童文学ファンタジー大賞の公募は2017年11月から2018年3月31日までの期間で行われた。
応募総数193作。
 一次選考において12作、二次選考では6作が通過。三次選考会においては次の4作が候補作に決まり、最終選考委員にそれらの原稿を送付した。



「はるか」      三根生 厚子
「水鳥写真館クラブ」 森川 聖子
「天狗坊と春の雪」  岡本 直美    
「つきのはなさく」  本田 昌子

 最終選考会は斎藤惇夫(委員長)、藤田のぼる、松本なお子、中澤千磨夫、工藤左千夫の各氏によって構成され、当初、2018年9月9日の予定であったが、9月6日の北海道地震により延期となった。そのため、9月26日、絵本・児童文学研究センター教室(小樽)にて開催。
 選考会は、大賞推薦の有無から始まり、大賞は該当作品なしということで、全選考委員の意見が一致した。
 続いて、佳作・奨励賞の選考審議に入り結果として、「つきのはなさく」(本田昌子)が佳作。「水鳥写真館クラブ」(森川聖子)が奨励賞に決定した。

受賞者のことば

本田 昌子
(ほんだ まさこ)
 
千葉県在住 59歳
山口大学文理学科卒
佳作「つきのはなさく」 
292枚(400字詰換算)

 この度の北海道地震により被災された方々に、謹んでお見舞い申しあげます。
 復興にご尽力されている中、受賞のご連絡をいただき、選考委員の先生方、絵本・児童文学研究センターの皆々様には、心から感謝と御礼を申しあげます。
 前回、佳作をいただいた『夏の朝』が一冊の本になるまで、推敲を重ねながら多くのことを学ばせていただきました。中でも、求める先には答えがあること、回り道をしても、時間がかかっても、必ずそこにたどり着くことができるという確信を持てたことは、これからの創作につながる大きな一歩となりました。
 上梓後に寄せられた読者の方々からの感想には、ただただ感動するばかり、私たちは本との出会いを重ねることで自分の世界を広げてきましたが、本もまた多くの読者に出会うことで物語の世界を広げ、深めていくのだということを知って、その面白さ、素晴らしさに、この上ない喜びを覚えました。
 今回、「つきのはなさく」を応募するにあたり、前作を超えることができただろうかと、初めは逡巡いたしました。しかし、これまでに選考委員の先生方からいただいた厳しく、温かい選評を読み返すうち、チャレンジすることにこそ意味があるのではと思い至り、勇気を出して応募させていただくことを決めました。新たな気持ちで臨んだ今作に、二度目の名誉ある賞をいただきましたこと、心より嬉しく、物語とともに歩んできた日々を振り返りながら、こみあげてくる思いをかみしめております。ありがとうございました。
 この度の応募作の舞台として取材させていただいた地域もまた、今夏は甚大な豪雨被害に見舞われました。日本各地に残る古典芸能にこめられた、先人たちの鎮魂と再生の祈りを胸に、新しい一歩をともに踏み出していけますよう願っております。

森川 聖子
(もりかわ さとこ)
 
東京都在住 42歳
関西学院大学文学部卒
奨励賞「水鳥写真館クラブ」 
279枚(400字詰換算)

 ファンタジーというと腰を据えて異世界を描き切る必要があるのではないか。現実世界を軸にした本作をファンタジーと名のつく賞に応募していいものか迷いましたが、思いがけず奨励賞をいただいて嬉しく思います。ありがとうございました。
 中学生の女の子を主人公にした話がふと頭に浮かび、机に向かったのは、三十代半ばの頃でした。大人になってめっきり読書量が減っていた私は、そのとき五行しか書けずに諦めたのですが、それをきっかけに色々な本を手にとるようになり、読む楽しさに目覚めることができました。
 数年前、アメリカで暮らしているとき、いっこうに上達しない英語に背を向けるようにして、日本にいるとき以上に日本語の本に没頭しました。物語の世界にこれまでになく深くのめり込んでいくうち、かつて放り出した創作のイメージが蘇り、どうすれば形にできるのか、真剣に向き合うようになりました。
 家族や集団とのつながり、孤独、そして死。それは人が生きるということそのものだと思います。どんな幼い子どももすでに「生きる」ことを背負っている。だいそれたテーマにひるみながらも、ここで書かなければ死ぬまでこの構想がついてまわるという切羽詰まった気持ちで、自分の力量を超えたものに頭から突っ込んでいきました。途中、手が動かなくなると、主人公が振り向いてうらめしい顔で私を見ている。なんとしてもこの子を羽ばたかせたい。そんな気持ちを知って驚き、どんなに拙くても完成させようと、歯を食いしばりました。
 どうすれば子どもの心に寄り添い、励ますことができるのか、自分自身を覗きこみながら考え続けました。つらい現実を前に、救いになるような隙間がこの世界のどこかにあればいいのに、そんな願いを込めました。
 最後の行まで辿り着いたからといって作品として成立するわけではない。書き上げてそう痛感しました。いただいた賞を励みに、土台を鍛え、今後も書き続けたいと思います。

選後評

斎藤 惇夫
(さいとう あつお) 
選考委員長
児童文学作家/絵本・児童文学研究センター顧問
1940年生まれ・埼玉県さいたま市在住

●長年、福音館書店の編集責任者として子どもの本の編集にたずさわる。1970年、デビュー作『グリックの冒険』で日本児童文学者協会新人賞。1972年『冒険者たち』で国際アンデルセン賞優良作品、1983年『ガンバとカワウソの冒険』(以上全て岩波書店)で野間児童文芸賞を受賞。2000年に福音館書店を退社し、創作活動に専念する。2015年、小〜高校時代を過ごした新潟県長岡市から、子どもへの読み聞かせや選書の大切さを伝え続けた活動が評価され、第19回「米百俵賞」を受賞。近著に『哲夫の春休み』(2010年、岩波書店)、『河童のユウタの冒険』(2017年、福音館書店)などがある。


ファンタジーの要がゆらいでいます!

 『はるか』と『天狗坊と春の雪』に関しては、表現したかった世界が未だ十分に吟味されず、あるいは、吟味するための文体・構成が整っておらず、なぜ作者がファンタジーという形式を選ばなくてはならなかったのか、その肝心なところが不明でした。例えば『はるか』では、絵の中に入ることが、絵描きの内面を深く辿ることになっていれば、『天狗坊と春の雪』では、異形の者を生んだ母親の苦悩が静かに語りつづけられていれば、物語の内容が自ずと形式を選んでいったはずです。
 『水鳥写真館クラブ』は力作。ミステリーじみた物語全体の構成も、登場人物たちも自然も丁寧に描かれ、文体も今の中学一年生がおかれている状況をよくとらえ、会話も弾んでいます。何と言っても、作者が、一見自由にみせかけながら、同じように生きることを強要する学校に対して、激しい違和感を覚える主人公に、暖かい眼差しを注いでいるのがうれしい。問題は、主人公の、大伯母歌子の描き方。殊に登場のさせ方にあったように思います。中居をしながら自由に生き、今や死の床についていて、どうやら主人公が一歳のときに亡くなった父親に深い影響を与えていたらしい歌子は、主人公の影として描かれています。そして物語全体も、この歌子の夢の中で主人公が動き始めるという、なにやら『トムは真夜中の庭で』のバーソロミューおばあさんとトムの関係に似ながらの展開になります。だが、トムの物語が、時計が十三鳴り、静かに、しかし驚きをもってファンタジーが始まるのに対し、こちらは、病床の歌子が突如、実際に主人公の前に現れ、しかも、どうやらそれが主人公の夢だったことが明らかにされるのです。艶消しです。物語の中で夢を使ってしまうことの安易さだけを言っているのではありません。読者に息をのませる工夫が、発明が、つまりファンタジーのもともとの意味「目に見えるように」することが、トールキンの言う、妖精のような技術が、ここにこそ必要なのです。そのあと物語が、ふくよかに展開し、父の死の原因も語られ、生き方の多様性もまた冒険の途中であった人々によって示されるようになるのですから、この登場があまりに惜しいのです。
 『つきのはなさく』は逆に、用心深く、丁寧に細部を描くことで物語が語られます。主人公は中学二年生の女の子。シンガポールからの帰国子女で、母親のふるさとの山間の村に戻ってきたところから物語は始まり、当然のことながら、異文化に育ってきた少女にとって、日々の生活は違和感との戦いということになります。構図としても『水鳥写真館クラブ』の逆で、少女が旅に出ることによって成長を促されるのではなく、故郷に戻ることで成長する物語です。彼女はその地に伝わる神楽の世界を知り、また四季の移ろいを感じることで、旧暦がいかに日本の自然を正確に映し出しているかも知っていくことになります。その二つの経験が、次第に主人公を故郷になじませ、さらに、七年前に来た時に仲良くなったにも拘わらず、姿を消した少女が何者でどこに消えたのか、その謎解きにもなっていきます。丁寧な文体も、構成もよく考えられているのですが、今一歩物語としての激しさに欠けます。それは、主人公を一人称で書いたからではなかったかと思います。調べ上げた事実(ファクト)が、あまりに生の形で記され、七年間主人公の心の中で通奏低音として鳴り響いていたはずの少女の印象も薄いのです。そこがこの物語(ファンタジー)の要だったはずです。作者と「わたし」が混淆している印象です。思い切って「わたし」を三人称にしたらどうだったのだろうと感じました。
 とは言え、『水鳥写真館クラブ』は久しぶりに力のある新人の、『つきのはなさく』は本賞ではベテラン作家の作品。それぞれの賞にふさわしい力作です。

藤田 のぼる
(ふじた のぼる) 
選考委員
児童文学評論家/日本児童文学者協会副理事長
1950年生まれ・埼玉県坂戸市在住

●小学校教諭を経て、日本児童文学者協会事務局に勤務。児童文学の評論・創作の両面で活躍しているほか、東洋大学などで非常勤講師を務めている。2013年に発表した創作童話『みんなの家出』(福音館書店)で第61回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞。
主な著書に『児童文学への3つの質問』、『麦畑になれなかった屋根たち』(ともにてらいんく)、『山本先生ゆうびんです』(岩崎書店)、『「場所」から読み解く世界児童文学事典』(原書房、共著)などがある。

始めて「大賞」という言葉を口にした選考会でした

 まずは、作品を読んだ順に感想を記します。「はるか」ですが、主人公の唯子をめぐる様々な人間像が描かれます。単身赴任で不在の父親の影はいささか薄いのですが、母親と近くに住む母方の祖母、そして三十年前に行方不明になったという母の兄の悠鹿。唯子がこの叔父の存在を知ったところから物語が動いていきます。美大の学生だった悠鹿が、なぜ家を出なければならなかったのか。そこに亡くなった祖父の人生も絡んで、物語が展開していきます。そうした過去の縁(または因果)が唯子の目の前に様々に立ち現れて、否応なく唯子を巻き込んでいきます。そうした展開自体はアリだと思うのですが、そうしたものを引き寄せる唯子の心の中の物語が充分に描かれず、唯子が証言者、目撃者以上のものになっていない感がありました。それから、悠鹿が残した(らしい)絵がこの作品をファンタジーとして成立させるために重要な役割を果たしているのですが、なんというかそうしたアイテムとして使うのに忙しく、読者がその絵と、そしてその絵を描いた悠鹿の思いとじっくり向き合えるようには書き込まれてないように思いました。
 次に、「水鳥写真館クラブ」ですが、事故で亡くなった父親、それについて語らない母と娘。その父の死の謎≠めぐって物語が展開していくというのは、ややありがちな設定ともいえるのですが、主人公の春香の描かれ方が(彼女に絡んでくる他の子たちも含め)、中学一年という時期の少女像(少年も一人いますが)としてとても納得できました。つまり、急いで大人への階段を上るのではなくて、子ども時代としっかりと訣別しようとしている春香の、心の旅の物語として読むことができました。一方で、春香の母親やおばさん、写真館の館長といった大人の側の登場人物の造型はやや物足りなく、またこの物語の展開の鍵を握る歌子おばさんの人生と、春香の心の旅とがどう重なるのか、という点では、もう一つ物語世界を深めてほしいと思いました。
 さて、次の「天狗坊と春の雪」は今回の候補作品の中で異色の作品ではありましたが、その異色さを作品世界の魅力にするには、あと一歩、いや二歩、三歩の精進が求められると感じました。例えばですが、「今昔物語」などの説話や「雨月物語」「遠野物語」などの作品を、自分なりにアレンジして書いてみるなどは、作品のリアリティとは何かを学ぶ上で有用だと思います。
 最後に読んだのが「つきのはなさく」で、この作品を読んだ途端に感じたことは、なんと場面や登場人物の心の動きがすいすいと頭に入ってくるのだろう、ということでした。「はるか」や「水鳥写真クラブ」も共感できる作品ではありましたが、そうしてみるとどこかしら「がんばって読む」感じがあり、それは今回だけでなく、今までの候補作品を読んだ時のことを思い出してみると、やはりほとんどの場合(もちろんそれは「選考」のためという面もありますが)そんなふうにがんばって読んでいた気がします。その点、この作品は全くがんばらなくても、作品世界が心に届いてくるのです。それだけでも、この作品は特別の感じがありました。一言でいえば、これは主人公のみつきが「世界を発見する」物語で、そのために、彼女がシンガポールからの帰国子女であるという設定、幼いころに父親が亡くなっていること、住み始めたのが都会ではなくて母の実家の農村地域であること等々が、物語の上で必然性があり、説得力になっていると思いました。また、ある種ミステリー仕立ての展開なのですが、そこも抑制が効いていて、わざとらしさを感じませんでした。僕はこの賞の選考委員になって初めて「大賞」の対象になり得るのではないかと思いました。無論、弱い部分がないわけではなく、特例として二回目の佳作となったわけですが、少なくとも「大賞」という単語を口にした選考委員会ができたことは、幸いなことでした。

松本 なお子
(まつもと なおこ)
選考委員
ストーリーテラー、子どもと絵本ネットワークルピナス代表
1950年生まれ・静岡県浜松市在住

●浜松市立図書館に司書として32 年間勤務し、城北図書館長、中央図書館長を務める。その後図書館を離れ、子育て支援課長、中区長、こども家庭部長を務め、児童福祉業務に携わり、2011年に浜松市役所を退職。静岡文化芸術大学等で非常勤講師を勤める傍ら、各地でボランティア、教師、保育士等へのストーリーテリングや読み聞かせの指導にあたっている。主な著書に『これから昔話を語る人へ―語り手入門』(小澤昔ばなし研究所)。

ひたむきで魅力的な主人公たちに出会えました

 「水鳥写真館クラブ」と「つきのはなさく」は、図らずも両極の構成で思春期の主人公たちを描いており、どちらもすがすがしく楽しく読みました。「水鳥写真館クラブ」の主人公春香は閉鎖的な学校生活から出口をみつけようともがいており、「つきのはなさく」の主人公みつきは多様性に満ちた国マレーシアから日本の小さな町へ移り住んで、「神楽」といういわば最も地域性に富んだ古きものを手がかりに自分の居場所を見つけようとします。
 「水鳥写真館クラブ」は、主人公の自分でも説明のつかない居心地の悪さやいらだちがうまく描き込まれていています。主人公に統一行動を迫るクラスメートや担任教師の描写は臨場感があり、切なくなるほどです。それに対して神谷咲子、梨花、カベとのやりとりには、軽さの中にもさりげない暖かさがあり、うまく作品のバランスを保っています。さて、この作品をファンタジーたらしめ、主人公の転機となるのが大伯母の歌子さんの存在なのですが、その扱いにはやや物足りなさを覚えました。主人公は夢の中で歌子さんと出会い、歌子さんの人生に寄り添うことで少しずつ自分を捉え直していくことになるのですが、肝心の歌子さんの姿や人となりが曖昧で、主人公の心を動かすほどの魅力的な人物とは読み取れませんでした。もしかしたらファンタジーよりも徹底してリアリズムの手法をとったほうがもっと良い作品に仕上がったかもしれません。
 「つきのはなさく」は物語の構成や人物設定が巧みで読み応えがありました。母親の故郷である山の麓の小さな町に移り住んできた主人公が、迷子になって赤い振り袖を着た女の子に出会った七年前の経験や、一族に伝わる迷信をきっかけに、神楽に魅せられ、自分の立ち位置を獲得するまでが丁寧に描かれて説得力があります。出来事や人と素直に向き合い成長していく主人公の描き方は心地よく、四季の移ろいや神楽の舞も、選ばれたことばで美しく描き出されています。また、登場する大人たちは、みな地に着いた暮らしを送っていることを伺わせ、作品に暖かさと落ち着きを与えています。
 しかしながら、展開に大きな役割を果たしているとはいえ、旧暦や十二候など、図書で調べたことをそのままにこれほどの文字数をここに割く必要はあったのか、疑問に思います。
 「はるか」は、現実と夢が交錯し、主人公やそれぞれの登場人物たちの思いがたゆたいながらやがては収束へ向かう・・・はずだったのですが、納得のいく結末には至りませんでした。主人公の唯子は常に受け身で、深く悩んだり不思議さにおののいたりする様子は伝わって来ず、主人公としての役割を果たしていません。また、生きている人、死んでいる人、たくさんの登場人物や、その人たちが抱えている思い、それを反映した出来事を提示しながらも、うまく関連づけや整理がされていないため、読み進むにつれてもどかしさが増しました。終盤で理久を何の前触れもなく無理心中で死なせてしまうという展開も疑問です。読者をこの年代(おそらく主人公と同じ12、3歳)と想定するなら、「死」の扱いはもっと慎重に必然性を持たせていただきたいと思います。
 「天狗坊と春の雪」は作品としてのまとまりに欠けます。登場人物の関係性に無理があり、出来事もその舞台も継ぎ接ぎ感は否めず、その結果展開も描写もセンチメンタルなものになってしまいました。

中澤 千磨夫
(なかざわ ちまお)
選考委員
北海道武蔵女子短期大学教授/絵本・児童文学研究センター評議員
1952年生まれ・北海道小樽市在住

●著書に『精読 小津安二郎』(言視舎)、『小津安二郎・生きる哀しみ』(PHP新書)、『荷風と踊る』(三一書房)など。全国小津安二郎ネットワーク会長。篠原哲雄監督『プリンシパル 恋する私はヒロインですか?』(2018年)に校長役として出演。MVにNORD「ゴー!ゴー!レバンガ〜超えろを超えろ。〜」(2018年)。CFにDCMホーマック(2016年)、東急リバブル(2016年)、津軽海峡フェリー(2017年)、サッポロクラシック(2017年)、チャペル・ド・コフレ札幌(2017年)、JA全農(2018年)など。

「『踊る』やないから。『舞う』やから!」。あるいは、<知>にたゆたう。

 村薫は鼎談「平成という時代」(『毎日新聞』2018・9・1)で、「文学の世界でも以前はこんな表現をしたら編集者に即はねられたという文章が平気でまかり通って、文学賞の候補作として出てくるようになりました」と述べている。ネットの平準化により、誰もがSNSなどで手軽に発信出来るようになった。玄人と素人の「境目が分からなくなった」のだ。ケータイ小説に象徴されるように、今や誰もが小説家になれる。いい時代だともいえようが、ただ面白いものやストーリー性の追求ばかりが目立ちがちなのも事実だ。雑な日本語表現に満ちた候補作品を読まされるとイライラが募る。文学表現が持ってしかるべき「プラスアルファ」が失われたと村は嘆く。日本語に立ち向かう書き手の姿勢の問題かと思う。大げさに聞こえるかもしれないが、私の文章は切れば血が出るという覚悟が必要なのだ。
 本田昌子「つきのはなさく」は安心して読めた。「神楽は『踊る』やないから。『舞う』やから!」という千歌の台詞に拘ってみたい。「踊る」は足を上げたり、踏ん張ること。それに対して、「舞う」は心を「無」にして神にゆだねることだ。つまり、意志というより、心をむなしくし、たゆたうことが神楽の神髄だというのだ。「神楽はもとより、神様といっしょに楽しむもの」という言葉もある。神楽にしろ、月の暦への興味にしろ、主人公・森山みつきの<知>への欲動こそが、読者をも知ることの喜びに導く。否、「欲動」などといってはいけないのかも知れない。知を楽しみ、知にたゆたうことをこの物語は教えてくれる。
 旧暦明治5(1872)年の12月3日が新暦明治6年の1月1日となった。旧暦上の12月が消えてしまったのではないかという幻惑に当時の人々はとらわれただろう。もちろん、これはマジックであって、実際に旧暦の12月が消失したわけではない。だが、この錯覚が行事や祭(神楽)を狂わせてしまったというこの作品における仕掛けの発見は見事なものだ。広島県だろうか、中国地方の山間の町とシンガポールの対比も効果的だ。そのシンガポール時代の隣人が月餅を送ってくるのも、みつきのまだ描かれぬアジア・世界への好奇心の広がりをさりげなく予想させる。シンガポール時代のことをくだくだしく書く必要はまだない。かく、この物語は時間の遡及と空間の拡張に包み込まれている。
 神楽甲子園は広島県安芸高田市で実際に開かれており、今年は第八回目を迎えた。7月28日29日の予定だったが、二日目は西日本大豪雨で中止となった。高校野球の甲子園は別格として、ほかにダンス甲子園、かるた甲子園(末次由紀の少女漫画、小泉徳宏監督・広瀬すず主演『ちはやふる』)などエネルギーを爆発させる場所は幾つもある。北海道の私にとってはなんといっても今年25回目を数えた東川町の写真甲子園(菅原浩志監督『写真甲子園 0.5秒の夏』もある)。それらに通ずる熱気はこの作品でもよく表現されている。
 物語の最後。月の舞で送られなかったハルの名が呼ばれる。ハルはもちろん新春に通ずるが、私などスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』、さらには渡辺正峰『脳の意識 機械の意識』を連想してしまう。心(記憶)を持ったコンピューターのHALはIBMのもじり。ハルはHAL、つまり未来、あるいは危険なアルゴリズムにも通じているだろうか。
 森川聖子「水鳥写真館クラブ」は、とても気持ちのいい作品だ。琵琶湖岸にある湖北町山本山に毎年やって来るオオワシがモチーフになっている。これ自体、とても魅力的なトピックであるが、記憶にない父の謎を求める引きこもり少女の物語としてすがすがしく血肉化させた。

工藤 左千夫
(くどう さちお)
選考副委員長
絵本・児童文学研究センター理事長
1951年生まれ・北海道小樽市在住

●生涯教育と児童文化の接点を模索するために絵本・児童文学研究センターを開設(平成元年)。平成14年、特定非営利活動法人となる。現在、会員数は全国で1400名を超え、2年半にわたる基礎講座(全54回)を開講するとともに多様な公益事業に取り組んでいる。本年、創立30周年を迎える。
著書『新版ファンタジー文学の世界へ』『すてきな絵本にであえたら』『本とすてきにであえたら』(ともに成文社)、『大人への児童文化の招待』(エイデル研究所 河合隼雄共著)、『学ぶ力』『笑いの力』(岩波書店 河合隼雄他共著)。 


紆余曲折の選考会

 今回は、紆余曲折の最終選考会。それは選考会の内容についてではない。9月6日の北海道胆振東部地震によって、北海道全体がブラック・アウトを経験したため、生活そのものがストップしたことによる。当初、9月9日の予定だったが、選考会で使用しているホテルも使用不可。また交通機関も大混乱を起こし、そのため道外から選考委員の諸先生を小樽にお迎えすることが叶わなかった。9月26日、平日の日に何とか諸先生の都合を合わせていただき開催することができた。開催場所は絵本・児童文学研究センターの教室で行う。

 本年は絵本・児童文学研究センターの創立30周年にあたる記念の年。やはり、今年も大賞受賞作は現れなかった。選評については重複をさける。ただ、佳作受賞の「つきのはなさく」(本田昌子)の作品については一言。

 本作品の文章力は、他の候補より一段上であること、それについては各委員と同じ感想である。しかし「神楽」を物語の核に据えた以上、「神楽」に付随する旧暦等の関係(日本文化とのかかわり)で物語を推し進めていくことはどうか?まるで旧暦の「お勉強」を強要されているようで、物語に入り込む意欲が何度も削がれてしまった。むしろ「神楽」のいわれをさらに詰めていけば面白いファンタジーになった可能性がある。
 大雑把に述べれば、古代の日本における自然信仰では、八百万の神々は天地を自由に彷徨していた。時々、神々の顕現を願った人々が、磐座(いわくら)や大木を信仰し、そこに神々が時々訪れる、という感覚。歴史が進み、中国や朝鮮半島の影響を受け、また時の大王(天皇の称号は天武朝から)や豪族の権力誇示と自らを守護(怨霊鎮護)するために大規模な「神社」が建てられてきた。これは神々が神社に閉じ込められたことを意味する。神々の機嫌をとるために「神楽」が始まったことは事実。自由を奪われた神々の世界と現代の子どもたちの世界には共通項がある。そのようなファンタジーを読んでみたかった。また「秘密」は日本に限らず古代のギリシャ・ローマ時代でも秘密結社は存在した。それは世俗と交わることで、世俗社会に大きな影響力を及ぼすことを避けるため、必然的に秘密結社となっただけである。「秘密」でもファンタジーの重要な素材にはなるのだが。